【親になる】ということ。
【親になる】ということ。
【親になる】ということは、どうゆう事だろう?自分の親の事を考えてみても漠然しか分からない。
学生時代は色々あり、親にも迷惑をかけた時期もあったと思う。母子家庭ではなかったが、親父と遊んだり 学校行事や誕生日などを一緒にしたことが無かったとおもう。そのためか、自分には家族全員で撮った写真がない。母親と一緒に撮った写真か 自分一人の写真である。
親父は、仕事が多忙なバリバリのサラリーマンだった訳ではなく どちらかと言えば職場を色々と変え一年以上 無職の時もあった。
その間の収入は、母親がバイトをして生活費を工面していたが足りず 電話などはよく止まっていた。
親父は競馬好きで 働いていない時期もよく行き借金を隠れてしていた。お金がないときに親父と親戚にお金を借りに行かされた時もあった。そういえば幼い頃に、親父に動物園に何回か連れて行ってもらった記憶がある。
今思えば競馬場だったのだが…。
その動物園には馬しかおらず、遊具も ほとんど馬の乗り物だった。近くにある出店のような所では 串カツやカツ丼など味の濃い食べ物が沢山あった。また、広い檻の中で動物の馬が凄い勢いで走っており 時折おこる紙吹雪が大好きで下に落ちている紙吹雪の紙を拾い集めていた。だから、自分が幼少期に書いた動物の絵は【馬】の絵であった。
小学生の頃、喉が弱くよく風邪をひく子供だった。それでも遊びに行きたくて遊びに行き 何度か母親から怒られた事がある。
風呂場に連れていかれ服のままホースで水攻めをされた事がある。思いっきり叩かれてタンスに頭を打ち付け脳震盪を起こした事もある。
凄い怒られ方をするので 子供ながらに怖くなり雪の降る日に友達の家に靴下のまま 逃げ込んだ記憶もある。勉強があまり好きではなかったので よく宿題を忘れ右腕に鉛筆を刺された事もあった。今でも、右腕には鉛筆を刺された痕が残っていて数ヶ所の 黒い点がある。
幼少期~学生時代には、本当に沢山の事があったと思う。
そのためか、自分も荒れていた時期もあったが小学生から社会に出るまでの間 漠然と思っていた事は【早く家を出て、自分で生きる力をつける】ということであった。
今、こうして社会人になり 人の親になり思うことは
【最終的には、親父は反面教師として社会を教えてくれ。
母親は、度が過ぎたかもしれないが 自分を心配しての行動だった。】
と思うことができる。良きも悪きも 今の自分を形作る1つになった事は間違いないと思います。
そのため、自分には人として親としての考えがあります。
- 人に迷惑をかけない、胸を張って生きれる人になる。
- 自分の作る家族家訓は【ほっこり・のんびり・ゆったり】にする。
- 自分の作った家族には、経済的負担をかけない。自分の仕事に誇りを持つ。
- 家族みんなで、できるだけ食事を一緒に食べる。
- 親父は、自分の事を優先しない。
- 奥さんを大事にする。その姿を子供にも見せる。
- 子供達も、大事にしてる事を伝える。
- 子供と遊ぶ時は、楽しむし 子供と喧嘩もする。
- 1日1回は 皆で笑う。
- 叱る時はあるが よほどの場合以外 子供に手を挙げない。
- 理由を必ず分かるまで聴く。
今の自分に全てが出来ているか自問自答すると まだまだ未熟な事も多くありますが近付けるように これからも努力していきます。
最近、子供の漢字の勉強で【親】という漢字を辞典等で調べ た事があります。
「親」という字を「学校が終わったら家にも帰らないで遊んでいるので 心配で木の上に立って、子供たちを見てさがしている字が『親』」という話もあるようですが。
確かに「親」は「木」「立」「見」でできています。この説明では「親」とよく似た「新」や「薪(たきぎ)」などが説明できないのです。
「親」の説明はどうでしょう。 似た字の「新」の文字の説明から考えると。
「新」は「立」「木」に「斤(おの)」を加えた文字。この「立」の部分、これは「辛(しん)」という字の省略形です。「辛」は取っ手のある針の形です。古代中国人は、この「辛」を入れ墨(ずみ)のための針や投げ針として使いました。「はり」の意味のほかに「つらい」「からい」などとも読みますが、これは入れ墨をするときの痛みからできた意味だそうです。
親が亡くなり、新しく位牌(いはい)を作るときにも「辛」を投げて木を選びます。そして「辛」が当たった木を「斤」で切ります。このような儀式(ぎしき)を表しているのが「新」です。新しい位牌を選ぶので「あたらしい」の意味になりました。
「辛」が当たり、位牌のための神木として選ばれた木が「薪」です。その木は祭の際に燃やす木にも使うので、「まき」の意味となったようです。
そして最後に「親」です。これは「辛」と「木」に「見」を加えた字。新しくできた位牌をじっと拝んでいる姿を表す文字なのです。その位牌は父母の場合が多いので、そこから「おや」の意味になりました。(共同通信編集委員 小山鉄郎)
このことから、【親になる】ということは自分が【親】になってみないと分からず また、自分の【親】が亡くなってから初めて本質が見え始めるような気がしました。
まだまだ、新米の【親】ですが これからも反面教師や度が過ぎた教師を イイ意味での材料にして 自分と同じ環境に絶対にならないよう【親】になっていこうと思います。